元K-1選手の佐竹雅昭さんは、現在どんなお仕事をしているのでしょうか?
日本の代表としてK-1やプライドで戦ってきた佐竹雅昭さんは、当時はスゴイ人気で、CMやバラエティー番組でも活躍してましたね。
ということは相当稼いでいたはず・・・
もしかしたら、現在は仕事をしていないのかも・・・
ということで、今回はK-1佐竹雅昭さんのファイトマネーと現在のお仕事について調べてみました。
K-1佐竹雅昭のファイトマネーは2500万円だった?
引用:https://matome.naver.jp
K-1佐竹雅昭さんは現役時代の自身のファイトマネーについて、以前「ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~」(テレビ東京系)で話していました。
デビュー当時は13万円でしたが、K-1全盛期の時は1試合で1000万円稼いだこともあるそうです。
さらに、引退試合となった「PRIDE」の試合では2500万円のファイトマネーがわずか1分で決まったと話しています。
1試合で2500万円稼ぐなんて格闘家は凄いんですね。
夢がある仕事と言っても良いでしょう。
今の新生K-1は、選手も多くなってきたためか、一人一人の選手に払われるファイトマネーは安すぎるとの噂がたっています。
佐竹雅昭さんは、日本のK-1を創成期から支えてきた人間だから、こんなに貰えたのかしれませんね。
K-1選手の詳しいファイトマネーについてはこちら!
K-1佐竹雅昭の現在の収入源は?
引用:Twitter
K-1の佐竹雅昭さんは、現在K-1には携わっておりませんが、空手関係の仕事はされているようです。
佐竹雅昭さんは「平成武師道」という空手のジムも経営されています。
今でも空手は愛しているようで、自身のミット打ちも公開しています。
『ガンガンガン』
年齢相応ですが、ミット打ちご覧下さい。
グローブより素手で打ち込むのは、ダイレクトに体に衝撃が伝わって気合いが入ります。 https://t.co/t75NLLjpqO— 佐竹雅昭 (@heiseibushido) January 29, 2019
さらに、フィギュアやマンガが好きなことから『サブカルチャー研究家』として活躍されているそうです。
また全国の学校で講演をしたりもしているとの情報もありました。
K-1選手だった時代からは収入は下がっているとは思いますが、空手の道場を運営したり『サブカルチャー研究家』として活躍されているので、収入はあるようですね。
K-1佐竹雅昭が引退した理由とは?
引用:https://talent.thetv.jp
K-1佐竹雅昭さんは、自身の著書「まっすぐに蹴る」の中で、K-1を辞めたこと、そして格闘家を引退したことについて詳しく話しています。
パンチドランカーだった?
佐竹さんは、パンチドランカーに似た症状で一時期は悩まされていたそうですが、実はドランカーでもなんでもなかった。と笑いながら話していました。
代わりに「このまま戦い続けたら30歳でアルツハイマーになるよ」と医者に言われていたそうです。
試合で脳が揺れ動いたりして、それで死の瀬戸際が4回あったと語り、特にK-1でサム・グレコ選手と戦った時には佐竹さんは病院送りにされ、生死の境をさまよったと話していました。
無理矢理試合をさせられた
佐竹雅昭さんは、94年のジェロム・レ・バンナ選手との試合で脳に強いダメージを負っています。
しかし、この試合は実は無理やり組まれたものだったそうです。
佐竹さんは、脳にダメージがあることがわかっていたので、バンナ選手との試合を「止めたい」と直訴したそうです。
しかし、当時は人気絶頂の中にあったので聞き入れてもらえず、仕方なく戦った結果KOされてしまいます。
このバンナ戦でのダメージは相当なものだったそうですよ。
石井館長との確執
佐竹雅昭さんは、K-1JAPANGP”99で武蔵選手と戦った時、1Rでダウンを奪い攻め続けたにも関わらず、0-3の判定で負けてしまいました。
納得のいかない佐竹さんは、石井館長に直接直訴しに行くと「そんなことはどうでもいい」「何が怪獣王国だ」と言われ、暗黙の圧力をかけられたと話しています。
その疑惑の試合がこちら!
これがきっかけとなり、言われた直後に「K-1を辞めます」と伝えたそうです。
石井館長といえば、ファイトマネーの未払いで問題になったり、脱税で逮捕されたりと、いろいろと黒い噂が絶えない人物でしたからね。
そのことは自身の本の中でも触れられています。
「石井館長がこれだけやるからうちに来い!と言って5本の指を見せたんですよ。当時は高級車を乗り回してノリにノッていた館長だったので、50万だと思って入社したら初任給は5万円でした」
「ファイトマネーは一向に払ってもらえず、搾取されてました」 引用:まっすぐに蹴る
格闘家としての試合よりも人気とお金を取ったということなのではないでしょうか・・・
頭蓋骨が割れて背骨も折れた
佐竹雅昭さんは「PRIDE」でクイントン・ランペイジ・ジャクソン選手と対戦。
その試合で、佐竹雅昭さんは頭蓋骨が割れて、背骨も折るという重症を負ったそうです。
この時はさすがにヤバいと思ったそうで、自分でクルマを運転して病院まで行ったのだとか・・・
佐竹さん・・よく病院まで行けましたね・・・
普通の人なら、途中で事故ってると思いますよ・・
この時の大ケガがきっかけとなって、引退を決意。
その直後の2002年「PRIDE」で吉田秀彦さんとの対決を最後に引退しています。
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K-1佐竹雅昭のファイトマネーは1分で2500万円?現在の活動と収入源は?まとめ
元K-1の佐竹雅昭さんのファイトマネーと、現在の活動について調べてみました。
佐竹雅昭さんがいなかったら、K-1は存在していなかったと思いますし、身体の大きい外国人選手のなかでただ一人の日本人として戦っている姿は、私もすごく影響されました。
なので、彼の格闘家としての功績は素晴らしいものだったと思います。
現在は、空手道場で若手の育成に励んでいるそうですが、再びK-1と関わる日はくるのでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。